いじめられているこどもさんは、自分の身の上に進行中で起きている『何か嫌な感じの状態』について、それが何(いじめ)であるのかわからないことが多いのです。おそらくこのわからなさは、なんらかの心理学的な原因で『今自分の身の上に起きている何か嫌な感じ』を自分の言葉で表現することができなくなってしまっているのです。
 保護者のかたに「いじめられているんじゃないの?」と日頃繰り返し言われ続けても、こどもさんはうんともすんとも言わない。ある時こどもさんが保護者のかたに怒られるような日常的な場面において、「だって…、〇〇から△△されて…」などと言ってこどもさん自身がやっと『いじめ』を吐露し始めるのです。
 このようにいじめというものには、事後的に(後になって)認識されるのが普通です。これはまさにトラウマの発生機序と類似しています。トラウマがトラウマだと認識されにくいように、いじめがいじめられている子どもさん自身にいじめと認識されにくいのはいくつかの理由があります。それは
(1)嫌すぎてぼーっとしている(専門的には「解離」しと言います)
(2)いじめている者への同情(専門的には「攻撃者への同一化」と言います)
(3)いじめが怖すぎてすくみの反応が出ている(トニックインモビリティといった身体的反応)
(4)認知能力
(5)体験そのものを言語化する能力
などが挙げられます。これらの理由は、もしかしたら傍目には『がまん』と映っているかもしれません。いじめられているこどもさんにとっては、これらの理由と学校(集団)生活という変数が大変多いグループライフにおいて、自分の身の上に降りかかっていることがモヤの中に埋もれてしまい、結果として何が起きているかわからなくなるのです。
 いじめに対応するには、①いじめがいじめとして認識されるには多少の時間がかかること、②そしてそれにはいくつかの心理学的な要因があること、③そしてそれは集団力動の中に埋もれてしまっていること、この3つについて十分に承知していることが重要です。
 学校がいじめの対応する時に初動時点でミスを犯してしまう場合があります。これは先の3つを承知していないがために、いじめのサインを見逃したり、いじめの聞き取りで指導してしまうといったことなのです。
 私たちのいじめ対応サービスは、以上のような理解にたって、いじめられているこどもさんのトラウマケアとこどもさんと保護者のかたと協力して、どのような配慮や環境調整を学校へお願いするかといった具体的な施作を考えていきます。